ペール・ギュント 神奈川芸術劇場

7月11日〜20日に神奈川芸術劇場で上演されたペール・ギュントについて。

主演、内博貴くんのファンで11日の初日、17日、19日、20日の千秋楽と計4公演観劇しました。

それぞれの公演で感じ、考えたことを残しておきたくて、この記事を書こうと思いつきました!
そして、ペール・ギュントを観た方の目に止まって、他の考え方、感じ方なども聞いてみたかったりしたかったので。

ただのジャニヲタの戯言です。


初日(11日)の終演後は、「うわぁー……」って。
なんか、とんでもない作品に出会った気分でした。

白井晃さんの演出の舞台を拝見するのも初めて。なんなら、前田美波里さん以外は皆さんお初にお目にかかる方々で。(美波里さんは堂本光一くん主演のEndless SHOCKで、他の方もテレビで拝見したことはもちろんある方も居ますが…!)


胸に衝撃がズドーーーンと来て、けれど、頭なの中で処理しようとも色々な考えがぐるぐると巡っている感じ。

私、何を観る時も(ジャニーズ舞台以外も)あまり前情報を入れずに観るからなおさらかもしれない…
ペール・ギュントの戯曲も読んだことはありませんでした…


初日を観劇した後に、公式ホームページの白井晃さんと対談を読んでやっと、私の中での解釈ができたというか。

ストーリーとしては、大ホラ吹きで、女ったらし、喧嘩っ早く、そんな主人公ペール・ギュントの一生。それを待ち続ける世界一純粋なソールヴェイ、そして、母のオーセ。
どんな一生を過ごし、どんな死に方をしていくのか。
これを約3時間で描いた作品でした。
しかし、始まりは廃墟の建物。セット転換はなく、ベースは廃墟の建物の中で全ての出来事が起きる感じ。
舞台上の一部奥手にスガダイロートリオのバンドの方がずっといらっしゃる。出演者の一部として。時には、手術着を着て演奏し、時にはアラブの商人のような格好で盛り上げてくれている。

この段階で、初めての感覚。オケピでもなく、幕裏でもなく、いつも見える場所に楽器隊が居る。
けれど、それが不自然でなく、むしろその空間を作る一部になっている感じ。

この展開されていくストーリーはもちろんのこと、それとリンクするように色んなことが気になっていく。そんな作品だった気がします。

私の中で特に印象に残ったというか、色んな考えを巡らせたのが、

生と死

冒頭、ソールヴェイが赤ちゃんを抱いて保育器に入れるシーンから始まる
微かに動いてる赤ちゃん、傍にはオーセ。
この赤ちゃんはペール・ギュントなのかと思うこのシーン。
そして、ペールを演じる内博貴がその赤ん坊を見つめている。
これがお芝居の導入部。

ラストシーン
劇中何度か人の死が訪れる。そのシーンで必ず、この作品でキーとなる少し白い色の付いたビニールに亡骸を包むというのが必ず行われていて。
ソールヴェイがペールだと彷彿させていた赤ん坊をビニールで包み、そこで物語が終わる。

ここで、初日の私はソールヴェイもオーセも後世の生まれ変わり。最初の病院のような廃墟での出来事は現代。
そして、ペールとソールヴェイはこの現代ではとても悲しい出会い方だったのだとふと感じた。
その前世の物語を見たという感じ。最初と最後は本編とはまた違う時間軸のお話という捉え方をしていた。


しかし、千秋楽は、あ…ペール・ギュントなんて存在しなかったのかもしれない…となった。
それにはいくつかの理由があって。
一番大きな理由は、スガダイローさんの最後のピアノ。心臓の鼓動がどんどん小さくなって、プツッと何かが終わった、そんな風にピアノが聞こえて、ペール自身が見ていたのか、はたまたソールヴェイなのか、オーセなのか、誰かが夢見た世界から醒めた。そんな気分になった。

夢だった。なんて言葉にしてしまうと夢オチ的な安っぽさが出てしまうのが意図と違う風に取られてしまいそうで自分の語彙力のなさに残念さしか感じないが。

夢オチとかそういう話ではなく。

夢だったというか、むしろ人の一生なんて意外とそんなもんなのかもしれないというか、
死ぬ間際の走馬灯的な、そういう方というか。


この瞬間に初日観たものと同じものを観た感じが一切せず、同じ作品を同じ人間が観て、感じ方が違うって、少なからず私はこんな経験はしたことなくて。
年齢を積み重ねてって場合はもちろんあるけれど(10代の頃のドラマが20代で改めて見ると見方が変わる的なね)
こんな短期間で、観え方が変わるって!
不思議!!!!!!としかならなくて(笑)☜単純


17日、19日のアフタートークの際に白井さんが感じ方は色々あると思うということをおっしゃってたのが、
こういうことなのか!!とハマった感じ。


長くなってしまった…

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